コロナ禍の海外旅行ノウハウ集

激動!プーノとラパスのストライキ!(後編)

前編はコチラ↓

激動!プーノとラパスのストライキ!(前編)

 

なんとかストライキを回避し、バスはペルーとボリビアの国境の町、デサグアデーロに到着。

スーツケースを受け取り、青空トイレを拒否したので長時間トイレに行けなかった私たちは、とりあえず最寄りの公衆トイレに全力ダッシュ。

水が出ない&流れない&めちゃボロいくせにもちろん「有料」。笑

 

2:2に分かれて荷物を交代で見張りながらトイレを済ませたのだが、私たちと同じバスに乗っていた現地人の青年(たぶんペルー人)もたまたまこの公衆トイレに来ていた。

彼は英語が少し話せたから(訛りが強くてほとんど聞き取れなかったけど)、

荷物を見張ってる間少し話してて、「僕も今から国境越えるから一緒に行こうよ」と言うので、道も分からないし、とりあえずついて行くことに。

 

トイレから歩くこと数分。ペルー側の検問所?的な所に到着。

受け付けの人に、パスポートと、ペルーに入国する際に空港で受け取った入国カードの「半券」を提出。

注意
ペルーを出国する際は、コパカバーナ経由だろうがデサグレーロ経由だろうがこの半券が必要。無くすとめんどくさいことになるらしいので、必ず保管しておくこと!

 

また、ここでペルー出国税を支払う。

パスポートを受け取り、青年の案内の元、いざ国境へ!

 

いよいよ、人生初、陸路での国境越えである。

本来なら「国境いえーい!\(^o^)/」的な写真を撮りたかったが、治安の悪い南米では、街中でスマホやカメラを鞄から出すのは御法度。

(理由は金持ちだと思われて強盗に狙われるから)

 

ここはグッとがまんして進む(。-_-。)

※ちなみに、デサグレーロの国境画像はコチラ↓

desaguadero

 

 

 

 

 

(画像は Tiwy.comからお借りしました)

 

国境は、私の想像とは異なり、「PERU←‖→BOLIVIA」的な表示が地面に書かれているわけでもなく、

また、厳重に門や塀で囲まれてるわけでもなく、

そこにあるのは、1本の小さな川と、その川にかかってる橋、のみ

 

川を渡り終えたら、そこはボリビアというわけだ。

橋を渡ってる途中、私たちを呼ぶ現地人がいるなぁと思ったら、さっきのバスで後ろの席だったおっちゃんたちだった。笑

バスの中でも騒がしかったが、相変わらず陽気な集団である。

 

めんどくさそうなのでテキトーにあしらっといた。笑

 

そして、不思議なのは、橋の上で何人かの物売りたちが堂々と商品を並べて商売をしていること。

この人たちは誰かにちゃんと許可とってやってるのかは知らないが、ナゼ国境の真上で商売を…?(謎)

 

そんなこんなで橋を渡り終え、お次はボリビア側の検問所へ。

入国カードを記入し、カウンターで検問官にパスポートと合わせて提示する。

 

しかしここで一つ問題が。

ボリビア入国の際には、入国税として1ボリ(約15円)を支払わないといけない、ということは知っていたが、うっかり両替するのを忘れていた私たち。

ドルやソルはたくさんあるものの、ボリビアーノに関しては、持ち合わせが1ボリ足りとも無い。

 

さて、どうしようか…と思ったが、とりあえず私より先にカウンターに並んだ友人の様子を見ていたら、

検問官:「入国税1ボリお支払いください」

友人:「(ニコッと笑って)グラシアス!」

 

→そのまま通過。

って、いいんですか?!( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)

(※「グラシアス」はスペイン語でありがとうの意)

 

2番目に検問した友達も、「グラシアス」の一言で難なく通過。

3番目に並んでた私に至っては、検問官ももはや諦めた(?)のか、「入国税払って」とも言われずそのまま通過。

MEMO
【結論】ボリビアの入国税は、笑顔+グラシアスで無料パスできるが、良い子のみなさんは事前に両替して用意しときましょう。笑

 

4人とも無事(?)検問が終わったが、この先ボリビアーノの持ち合わせがないのは不便だ。

私たちの検問を待っててくれた青年に、図々しくも「両替所に行きたいな( ´ ▽ ` )」と頼んでみる。笑

 

苦笑いしながらOKする青年。笑

青年曰く、ボリビア側には近くに両替所が無い?のか、換算率がよくない?のかよく分からないが、とりあえずペルー側に戻る必要があるらしい。

 

ということで、先ほど通った道を戻り、再び国境越え。

出入国手続きは、一度行なえば再びしなくてもよいっぽい。

両替所は国境の目の前にいくつか並んでおり、いちばんレートがよい店を選択。

 

ささっと換金し、また国境を越えてボリビア側へ。

なんか、何度も2つの国を行き来するのって、フシギなかんじ。

 

*:*:*

 

ということで、陸路での国境越えはあっけなく終わったのだが、

ここで重大な問題が。

 

このデサグアデーロという町、私の中では(勝手に)そこそこ大きい街だと思い込んでいたのだが、これが意外としょぼい。

ペルー側はまあまあ発展しているが、ボリビア側に関しては、店もあまりなく閑散としている。

ストライキの影響なのか、それとも普段からこうなのかは分からないが、道を歩いている現地人もあまりいない。

観光客らしき人も見かけない。

 

出発前に読み漁ってたブログ情報や地球の歩き方によると、陸路で国境越えする場合、たしかに一般的なのはコパカバーナ経由だが、デサグアデーロ経由で国境越えするルートのバスもあるはずである。

 

しかし、観光客向けのバスはおろか、ローカルバスすら走ってる気配はなく、というかバス停がどこなのかも分からない。

 

バスがないとなれば、最終手段としてラパスまでタクシーか…(。-_-。)

当時、エクアドル新婚旅行夫婦殺害の事件もあって、流しのタクシーは極力避けていたが、まだ昼間だし、このままここに留まるほうがもっと危ない予感がする。

 

青年は元々どんな手段でラパスまで行く予定だったのかは分からないが、女4人よりも男が1人いるほうが安心(?)ということで、ラパスまで一緒にタクシーで行かないかと提案。

承諾しタクシーを探してくれる青年。

 

そして、私たちの元にやって来たタクシーは、ほんとにこのタクシー走るのか?ってくらい超ボロいやつ。

(たぶんこの南米旅で乗ったタクシーの中でいちばんのボロさ)

 

もはや不安しかないが、タクシーの運転手と青年がグルになってる線は無いのでは、と思われた。

これが、「すぐ」にタクシーが用意された、というのなら怪しいが、スペイン語ペラペラの現地人男性でも、タクシーを捕まえるのは至難の技だったようだ。

 

というのも、そもそもタクシー自体がほとんど走ってないし、デサグレーロからラパスまではけっこうな距離があるので、運転手が引き受けたがらないのだ。

そういう理由で、タクシーを捕まえるのに2、30分ほどかかっていた。

(たぶん、私たちだけで交渉してたら永遠にタクシー捕まらなかったんじゃ…?汗)

 

不安ながらもとりあえず乗り込んでみる。

といっても、ワンボックスタイプの車ではないので、運転手+客5人+スーツケースを乗せた車内はぎゅうぎゅう詰めである。

(前列に運転手と青年、後列に女4人)

 

まるで老体にムチを打つようなかんじでタクシー発車。

 

走っていると、後ろからなんか騒がしい車が近づいてきた。

かつ、こちらに向かって手を振っている。

また出たー!( ゚д゚)さっきのバスで一緒だったおっちゃん集団やー!笑

短時間でどんだけ遭遇してるんだとツッコミたくなる。

 

私たちのタクシーを軽快に追い越すおっちゃん車。

対照的に、乗車率高すぎていまいち馬力に欠ける我がタクシー。

 

微速ながらもタクシーは順調に道を走ってゆく。

車窓からはアルプスが見え、景色も良好である。

 

しかし、一筋縄にいかないのが南米である。

あともう少しでラパスだというところで、急にタクシーが止まった。

道路が詰まっている。

 

始めは交通渋滞?と思ったが、どうやらそうではなく、その先を見ると、なんとまあご丁寧に大きな石たちが道路の真ん中に列をなして並べられており、行く手を塞いでいるではないか( ゚д゚)(驚愕)

イメージ図↓

ストライキイメージ図

 

 

 

 

 

(※画像はhttp://onlyone.travel/bolivia-security/からお借りしました)

 

な~!!!ストライキでた~!!!( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)

なんという幼稚な嫌がらせ。

ってゆーかストライキってペルー側だけじゃなかったんかい!!!

 

道路が通れないので、脇道に逸れて進んで行くタクシーの運ちゃん。

塞がれてる道路をうまいこと回避し、元の道に戻ったのだが、今度は、なんとまあご丁寧に土が積み上げられ、道路を塞いでるではないか( ゚д゚)( ゚д゚)

 

ほんまなんやねん…_| ̄|○

 

再び道を逸れるタクシー。

ボリビアは未整備の道がけっこう多く、ストライキで塞がれている主要道路から一本中道に入ると、そこはもう悪路である。

でこぼこの砂利道を通るものなら車体は大きく揺れ、ちゃんと窓を閉めてるにもかかわらず、車がボロすぎるからか、窓の隙間から砂埃が車内に侵入。

思わず咳き込む私たち。

 

何度も障害物を乗り越え、脇道に逸れながら進むタクシー。

しかし、再び車が止まった。

 

前方を見ると、道の先の橋に大勢の人だかりができている。

どうやら、ここがストライキの大元?なのか、橋のド真ん中でガソリン的なものを燃やして炎の柱が上がり、さらには爆竹らしき物体がバンバン飛び交っている。

IMG_4301

 

 

 

 

 

(※実際の写真。もはやストライキというより暴動)

 

殺気立った人々を目の前に、これは巻き込まれたらマズいと、慌ててその場を逃げるタクシー。

数百mほど後退し、とりあえず建物の陰に隠れて一時待機。

 

前席に運ちゃんと青年が乗っているからまだ良いものの、私たちはモロ日本人顔なので、

ストライキ集団に狙われたらどうしようとか、

この場で運ちゃんにタクシーを降りろとか言われたらどうしようとか、

いろいろ不安がありすぎて、タクシーの後列で身を屈めてじっと待機するわたしたち。

 

一人旅は憧れるけど、このような非常事態に直面すると、やっぱり同行者の存在は有難いというのか、

南米を女一人旅してる人は本当にすごいなぁとつくづく思う。

 

どれくらい経っただろうか。

タクシーの運ちゃんが突然エンジンをかけ、車を発進させた。

え?まだ橋には人だかりができてるけど大丈夫なん?!

 

私たちの心配をよそに、タクシーは、再び先ほどまで走っていたラパス行きの道に戻った。

不思議なことに、タクシーが発進してから、ストライキ集団の人だかりは波が引くようにどんどん減っていき、私たちが橋を渡るころにはほぼ終結(?)したように見えた。

 

タクシーの運ちゃん、なんでストライキが終わるタイミング知ってるんだろ…?

運転のプロだから?それともストライキとか日常茶飯事なのかな?(真相は未だに謎)

 

よくわからないけど心の中で運ちゃんに拍手喝采するわたしたち。

 

橋をなんとか無事に渡り終えてからは、特に大きなトラブルもなく、タクシーはついにラパスの街中に入ってゆく。

南米の最貧国とはいえ、ここはボリビアの首都。

噂には聞いていたが、ラパスの夜景はなかなかの感動モノ。

ラパス夜景

 

 

 

 

 

(※タクシーの車窓から夜景を撮ったらブレブレだったので、画像はhttp://gigazine.net/news/20131027-bolivia-lapaz-sightseeing/からお借りしました)

 

これでやっと宿に辿り着ける~!\(^o^)/と安堵したのもつかの間、宿に着く前に、ラパス市内の一角でいきなりタクシーを降ろされたのだ。

理由を聞くと、私たちが元々予約していたラパスの日本人宿「一番ホテル」は市内から少し離れているので、そこまでは行けないとのこと。

 

確かに立地が良くないことは知っていたが、デサグレーロからラパスまで走ってきた長距離を思うと、個人的には微々たるものだと思うのだが、ここで降ろされるとかなんという鬼畜さ\(^o^)/

なんとか宿まで行ってくれるよう全力で交渉するものの、運ちゃんは頑固として拒否。

(夜遅かったし、おそらく早く仕事を終えたかったんだろうなあ・・・)

 

しぶしぶ別のタクシーを探すも、何故かなかなか捕まらず、青年の力を借り、苦労の末なんとかタクシーを見つけ乗車。

やっとのことさで宿に辿り着いたときの安堵感は、今でも忘れられない。笑

 

青年はラパスの別の宿に泊まる予定だと聞いてはいたが、(宿名聞いたけど忘れた)

宿に着く直前に、「やっぱり僕もきみたちと同じ宿に泊まるよ」と言われ、結局タクシーを一緒に降りたのだが、

 

ラパスの日本人宿「一番ホテル」は宿泊客を日本人に限定してるそうで、あっさり宿のオーナーに追い払われ、その後彼がどうなったのかはよく分からない。

 

無事に別の宿まで辿りつけたのかなぁ?

今までにペルーとボリビア間を何度も行き来してるような感じだったので、たぶん大丈夫だとは思うけど、このペルー人の青年がいなかったら、私たちの力だけでは確実にここまで辿り着けなかったことを考えると、

もはやでしかない\(^o^)/\(^o^)/

 

私の経験上、海外においてやたら親切な人は、たいてい後々になって

  1. チップを請求してくる
  2. しつこく口説いてくる

のどっちかなので、

 

だから私達も初めはめっちゃ疑ってたんだけど、彼はチップを請求してくることは一切無かったし、口説かれてもないし、本当に親切な人っているもんなんだな・・・。

(デサグアデーロからラパスまでのタクシー代は、ここまで付き合ってくれたお礼の意味も込めて、青年抜きで割り勘したけど)

 

青年に感謝しつつ、この日は1日でいろんなことが起きすぎて、宿のベットにダイブしたら即爆睡。笑

明日はいよいよ、この南米旅で一番心待ちにしていた場所、「ウユニ塩湖」に向けて出発!

 

ウユニ村まで行く道中、再びストライキに巻き込まれるとは、この時の私達は知る由もなかったが。

―完―